矯正治療の矛盾
私が歯学部の学生時代から今日にいたるまで矯正治療に対して抱き続けている疑問があります。まさに、前回書いた「個性」に相反する部分です。
矯正治療とは一般的に、歯の表面に「ブラケット」という装置を接着剤で張り付けて、そこにワイヤーを通して、その弾性と、場合によってはゴムなどを併用して歯を並べていきます。
その時使われるワイヤーは、アーチフォームという決まった形に元々作られていたり、それに沿って曲げて形を作ったものが使用されます。
このアーチフォームワイヤーを矯正をされる歯科医師の先生は日々使われますが、多分、使われるのはほとんどの先生が数種類だと思います。場合によっては、上下1種類しか持っていないという先生も結構いらっしゃいます。
歯の大きさや顎骨の大きさは、それこそ10人十色、百人百様で、まったく同じという人は存在しません。仮に双子であっても微妙に違います。
その人たちを、同じアーチフォームワイヤーを使用して矯正治療を行えば、ほぼ同じ形に仕上がります。これは、はたして正しいのでしょうか???実は私自身、今でも非常に疑問を持っております。
個性を尊重しながら、一方では同じ形を強要される治療は矛盾する部分を内包しています。
ただ、そこまで細かく考えていくと、矯正治療そのものが怖くてできなくなるかもしれません。矯正治療の必要性やニーズは確実にあるわけで、では、その矛盾を少しでも小さくする考え方、診断力、テクニック等が要求されます。それができる矯正医を私は残念なが数名しか知りません。
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コメント
うーん、難しいですね。
ですが、歯科治療や咬合治療で改善することは多くとも、
個性がある意味均一化されることはないと思います。
あくまで咬合治療等で改善されることは、その人の生きやすさに則したものだけであると考えます。
その段階では、立派なツールを与えられただけ、なのだと思うのです。それをどう使うか、それはおのおのの選択でしかありえない。
咬合治療後から、そのひとの”個性”は輝きだすものではないでしょうか。
投稿: 絵里 | 2012年6月12日 (火) 21時22分
歯科問題は大変ね
投稿: 小松春奈 | 2015年6月23日 (火) 18時07分